長崎市の南部に位置する深堀町。この地域は古くから海運や造船で栄え、歴史的にも重要な場所でした。そんな深堀には、「一夜にして石垣が消えた」という不思議な伝説が残されています。これは単なる言い伝えなのか、それとも本当に起こった出来事なのでしょうか?
◆ 伝説の始まり
江戸時代、深堀にはかつて「深堀城」という城がありました。戦国時代に大村氏が築いた城で、江戸時代には深堀鍋島氏の居城として使われていました。しかし、幕府の命令により、江戸時代の初めには城は廃城となり、城の石垣や建材の一部は解体され、別の用途に使われたとされています。
ところが、この城跡にあったはずの石垣が「一夜にして消えた」という奇妙な話が伝わっています。ある晩、大きな地鳴りとともに石垣が突然姿を消してしまったというのです。翌朝、村人たちが見に行くと、そこには何も残っておらず、まるで最初から石垣などなかったかのように更地になっていたといいます。
◆ 消えた石垣の行方は?
この「消えた石垣」に関する説はいくつかあります。
幕府による強制撤去説
幕府は江戸時代初期、各地の大名に対し、無駄な城の解体を命じていました。その一環として、深堀城の石垣も撤去され、どこか別の場所に運ばれた可能性があります。実際、長崎市内の一部の石垣には「深堀城の石が使われている」という話もあります。
埋め立て説
深堀は江戸時代、港町として発展しており、埋め立て工事も行われていました。石垣の石が海岸の埋め立てに使用され、水中に沈んだのではないかとも言われています。今も深堀の海底には、かつての城の石材が眠っているかもしれません。
超常現象説
地元では「深堀城には城を守る霊がいた」という話も伝わっています。その霊が何らかの理由で石垣を消し去ったのではないか、あるいは石垣が異界へと運ばれたのではないか、という超常現象説も語られています。
◆ 石垣の痕跡は残っているのか?
現在の深堀町には、かつての深堀城の名残がほとんど残っていません。しかし、周辺には古い石垣のようなものが点在しており、それらが消えた石垣の一部ではないかと考える人もいます。また、地域の古い建物の石垣や石垣塀に、深堀城の石が転用されている可能性もあると言われています。
深堀の海底を調査すれば、ひょっとすると城の石垣の一部が見つかるかもしれません。あるいは、今も地中深くに眠っているのかもしれません。
あなたが深堀町を訪れた際、ふとした場所で歴史の欠片に出会うことがあるかもしれませんね。
この記事へのコメントはありません。